
どうして体育会系の集団はミスをすると坊主にさせられるんだろう??

なんか意味はあるのかな?
もっと効率的なやり方があると思うんだけど…💦
今回は、
体育会系の団体によくある
『罰として坊主』という規則に対する違和感と
その解決案についてお話ししていきたいと思います。

私も学生の頃はサッカーをやっていて、
周りの人間はことあるごとに坊主にさせられていました。
その時の考えや感情も踏まえて、この決まりの『おかしな所』を考えていきます。
なぜ坊主というヘアスタイルが罰則なのか
私自身何度考えても
なぜ罰則として『坊主』という髪型の一種が採用されているのか
という疑問に答えが出ません。
これについて少々考えてみましょう。
坊主はダサいという感覚が前提
ファッションとして坊主を取り入れている人もいる中、
坊主が罰則として成り立っているということは
『坊主=嫌なこと』という先入観が確実に存在していますよね。
これは誰が決めたのでしょう?
元々坊主の人には他の罰を加えるのでしょうか?
こんな疑問が次々に頭の中を駆け巡ります。
なんの役にも立たない罰則の存在意義
もうひとつの疑問が
この罰則がなんの役に立つのだろう?
ということです。

罰則に意味なんかないだろっ😤
という意見もあるとは思いますが
- 罰を与える側も
- 罰を受ける側も
- 第三者も
誰にもメリットがないというのは
あまりにも生産性の低く、効率の悪い行為だと思います。
具体的に代替案を考えていきましょう。
坊主に変わる罰則の代替案
先ほども述べたように
何か罰則を受ける時は誰かにご迷惑をかけている場合ですから
世のため人のタメになる罰則があれば
存在意義が生まれますよね。
奉仕活動やボランティアなどの他者貢献

第一に思い浮かぶのがこれですね。
本来罰則というのは、人のタメになるようなものを科すべきだと
思っています。
具体的には、
- 部活動内での罰則であれば、学区内のゴミ拾いや清掃活動
- 外部のスポーツクラブであれば、用具磨きやコート整備
など、罰則自体がその団体の活動に貢献できるようなものが
望ましいですよね。

巡り巡ってその人の『タメになる罰則』

他者貢献の罰則がどうしても取り入れられない場合は百歩譲って、
『嫌々でもやればその人の身になる罰則』
を考えるべきだと思います。
たとえば、よくある定番としては
- 普段より多い罰走
- 練習時間の追加
など、
その瞬間苦しくて罰として成立している上に、こなすことで実は身になっているという罰則が
ベターだと思います。
いずれにせよ、
なんの役にも立たず、誰のタメにもならない罰則は
非効率すぎて時間の無駄だと考えています。
ましてや、その罰を行わせるために自分の時間を犠牲にして
監視なんかしている場合は、最悪です。
現代における罰則のあり方

昨今、様々な業界でパワハラが問題になっている中、
厳しい規制や、罰を与えること自体が問題視されがちですが
私自身はそうとは思わないのもまた本当です。
いわゆる『体育会系』と呼ばれるような勝負の世界では
ある程度厳しい指導や規則は大事な側面を持っているのも
事実だと思います。
1番の理想は、自分たちで目的を持った規則やそれに対する罰則を主体的に設け、
そして自分たちで厳格に守っていける集団を作ること
ではないでしょうか?

きっとそんなグループは本来の自分たちの活動にも、
自立して主体的に望み、良い結果を残すと思います。
まとめ
今回は、
罰則としての『坊主』に対する疑問とその解決策
についてお話ししました。
現代における罰則のあり方は
より洗練されていくべきだと思いますし、
改善していくべきだと考えています。
もちろん規則を守らないのは良いことではありませんが、
理不尽な罰則もまた良いとは言えません。
筋の通った規則と罰則がより広く採用されることが、
より良い集団が増えていくことにも繋がると思っています。
以上参考になれば幸いです。
それでは次回、またお会いしましょう。

またねっ👋
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